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5月, 2009

5月 11 2009

すべてどちらもあっている。

性善説と性悪説、X理論とY理論。

有史以来、どちらが正しいのかという議論が続けられてきました。

ただ、今日に至るまで結論は出ていません。

これは、当然のことであり、その理由は、どちらもあっているからです。

 

たとえば、Aさんは、性善説およびY理論を信じている。

Bさんは、性悪説およびX理論を信じている。

そうすると、Aさんには、自分の思考が証明されるような現象が引き寄せられる。

同様に、Bさんには、自分の思考が証明されるような現象が引き寄せられる。

それぞれの思考が引き寄せの法則により現実化するわけです。

そのため、Aさんとって、世界は性善説でありY理論で構築されていますが、Bさんにとっては逆になるわけです。

場合によっては、同じ現象をみても、AさんとBさんの受け取り方が真逆だったりするのです。

その結果、言えることは、どちらもあっているということ。

世界はその人の思考を反映しているだけであり、どちらが正しいかということで議論することは意味が無いといえます。

 

では、どちらもあっているという前提で考えたとき、我々はどちらを選択すればよいのか。

それは、自分の感情を優先することだと思います。

幸せや自由、愛を感じるかどうかです。

性善説で世界を捉えた方が幸せになれるのか。

性悪説で世界を捉えた方が幸せになれるのか。

どちらかを自分の感情のままに自由に選択すればいいのだと思います。

その選択の自由がすべての人に与えられている。

だからこそ、世界はおもしろいのですね。

ありがとうございます。

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5月 09 2009

科学で証明されていないものを信じるということ

科学で証明されていないものを信じるということについてよく考えるようになりました。

たとえば、魂とか神など、いわゆるスピリチュアルな存在を信じるということです。

こういうことを普段話すと、「宗教か」というように反射的に捉え、思考停止してしまう人も多いと思います。

これは、魂や神が目に見えないし、科学的に証明できないからだと思います。

「科学で証明できているかどうか」

これが、厳然たる判断基準として存在しています。

 空気や電気も目に見えないが、科学的・物理的に存在が証明できるから信じることができる。

そういう、唯物的な理論ですね。

 

ただ、多くの人が運の存在を信じており、神社にお祓いに行ったりお守りをいただいたりします。

科学で証明できないものを、すべて完全に否定しているわけではないのです。

このあたりは、グレーゾーンといえそうです。

 

たとえば、天動説が主流だった時代、地動説を唱えたガリレオは弾圧されました。

しかし、地動説に科学が追いつき証明されると、一気に地動説が当たり前になりました。

科学で証明されたことにより、人々が信じることができるようになったわけです。

ただ、人々が信じるかどうかにかかわらず、地球は地動説で動いていました。

自分が信じるかどうかにかかわらず、真理は常に変わらず存在しているのです。

 

実は現在、上記の動画にあるように、ハーバード大学のリサ・ランドール博士が、5次元空間に関する数式を完成させ、それを実験によって証明しようとしています。

実験自体はほぼ成功し、あとは1年程度かけて検証することにより、ほぼ証明されることは確実といわれています。

そして、この5次元空間が、いわゆるスピリチュアルな世界であるともいわれているのです。

おそらく、このことが証明されると、天動説が地動説に変わったように、スピリチュアルな世界が科学で証明され、一気にその存在が当たり前の状態になることが予想されます。

ただ、おそらく、5次元空間が存在するということは、今年中にも証明されそうですが、それがスピリチュアルな世界であるかどうかの証明には、さらに数年から数十年はかかるでしょう。

 

ただ、真理は常に変わらず存在している。

それを自分が信じるかどうか。

そこにすべてかかっているようです。

 

そして、今の科学で証明されていることは、この宇宙の真理のほんの一部だけかもしれない。

最近、そう考えるようになりました。

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5月 07 2009

日本の歴史は80年周期で繰り返している

昨今「100年に一度」という枕詞をよく聴くようになりました。

実際、この「100年に一度」という言葉はある程度的を射ているようです。

ただ、正確には、日本の歴史は80年周期で大変革期を迎えているようです。

今年、2009年を基準にすると、80年前は1929年、160年前は1849年。

それぞれの年に何があったかというと、

1929年 世界恐慌から世界大戦へ
1849年 黒船来港から大政奉還へ

いずれも80年に一度の大変革期だったのです。

そして、1929年からの80年間を20年毎に分けた図が上記の図です。

1929年から20年間は、恐慌から世界大戦に突入し、敗戦、平和条約を締結するまでの大変革期だったのです。

歴史は繰り返す。

おそらく、2009年からの20年間も、80年に一度の大変革期となることが予想されます。

そして、大変革期に起こることは・・・、

1.変革前の常識が変革後は役に立たなくなる
2.改革派が残り、守旧派は去る
3.その後80年間は改革派が主流派になる

そのため、守旧派にとっては、80年に一度のピンチとなるのですが、改革派にとっては、80年に一度のチャンスとなるのです。

そして、改革派はいつでもその時代の30代の青年が主体です。
明治維新は、坂本龍馬・伊藤博文・吉田松陰など
戦国時代は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康など

歴史を顧みますと、30代で変革期を迎えた者には、一生に一度のチャンスともいえるのです。

改革派となるか、守旧派になるか。

今なら誰でも自由に選択できます。

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5月 01 2009

メアリーの物語 本当の自由を手に入れるということ

『脳にいいことだけをやりなさい!』
マーシー・シャイモフ著 茂木健一郎訳
p.118~ より引用します。

 実は、以前から、こういった話がどこかにないのだろうかと探していました。
それを、やっと見つけることができました。

この本は、現在、30万部以上売れているそうです。

このような話を数十万人の人々が読んでいるということは、素晴らしい事だと思います。
実際、自分がこのような状況に置かれたとき、本当にこういう行動ができるかどうかには、正直自信はありません。

ただ、こうありたいとは願っています。
そして、人を許すということは、こういうことなのだと思うのです。

同時に、すべてを受け入れるということ、すなわち無条件の愛の究極的な姿はこういうことなのではないでしょうか。

少し長いですが、素晴らしいお話だと思います。
ぜひお読みください。

 

約二十年前のこと、私の人生において、最大級の衝撃を覚える事件が起きました。
家の電話が鳴ったのは午前3時。イヤイヤ受話器をとると、長男の声が聞こえてきました。「母さん、どうしよう!ロビーが死んじまった!」
18歳の末っ子が銃で撃たれたと言うのです。
目の前が真っ暗になりました。ロビーが死んだ、ですって?
やり場のない、打ちのめされた感覚。-絶望。心臓は早鐘のように打ち続けました。

その後、息子を殺したショーンは殺人罪で捕まりました。ロビーとは顔見知りで、口論になって撃ってしまったというのです。

審問会が開かれるまでの三ヶ月間、私はショーンに会うことも話すことも許されませんでした。それは正しい処置だったと思います。
もし彼に会っていたら、怒りに突き動かされて何をしたかわかりません。もしかしたら、思わず相手の首を絞めていたかもしれません。ようやくやってきた審問会の日、私は初めてショーンを目にしました。彼を一目見たとたん、私の身体を煮えたぎるような怒りが駆け抜けました。
「なぜあんなことをしたの!」
評決はその場で下り、予想通り二十年から五十年の刑が言い渡されました。審問会が終わると、判事は、「ショーンに会わせるので部屋へくるように」と言いました。

職員の後ろについて判事室への廊下を歩くとき、心臓の鼓動が一歩ごとに速くなるのがわかるのです。
ようやく息子の命を奪った人間に会うのだ。
ずっとこの時を待っていたのだ、私の気持ちをぶつけるときを。
あの男にどんな罵詈雑言を浴びせてやろうか。
怒りと憎しみでいっぱいで、私にはそれしか考えられませんでした。
ボディチェックを受け、小さな鏡張りのオフィスへ通されましたとき見たものは、部屋の隅に立っているショーンでした。

それはオレンジ色の囚人服を着て、手足を縛られ、頭をうなだれたまま身体を震わせて泣きじゃくる二十歳の男の子でした。
彼は一人のさびしい青年でした。親も友だちも、支えてくれる人もいない独りぼっちの男の子、どこかにいる別の母親の息子なのです。私は職員に、ショーンに近づいていいかと尋ねました。ショーンはそれを聞くと目を上げて、涙に濡れた幼さの残る顔をこちらに向けました。
「ショーン、そばに行ってもいい?」
ショーンがうなずいたので、私は職員にうながされ、ショーンのそばまで進みました。

次に私がとった行動に、私自身も含めてその場にいた全員が驚いたのです。
私はショーンの身体に両腕を回し、彼を抱きしめました。
ショーンは私の肩に顔をうずめてきました。

誰かに抱きしめてもらうことなど初めてだったのかもしれません。
私の怒りと憎しみは、この瞬間にスーッと離れていきました。
「ねえ、ショーン、あなたを許すわ」
ショーンは驚いたような顔を上げ、私の目を見つめました。

「ロビーが天国でなく刑務所に行くのだったなら、私はもっとつらかったと思うの。あなたのために毎日祈っているわ。」
私はショーンに手紙を書いてほしいと頼み、職員につき添われて部屋を出ました。
どんな評決が下ろうと、もう私の息子ロビーは帰ってこないのです。ただ、もう一人の青年の人生が、刑によって奪い取られただけなのです。

私の行為を理解できないという人もいます。しかし、私は決してショーンの罪を見逃したのではありません。「許す」とはそういうことではないと思うのです。
あのとき彼を許したことで、私は心の奥に渦巻いていた憎しみと復讐心から逃れることができました。自由になり、心の平安をとり戻し、生きる力を得て、ロビーの死を受け入れることさえできるようになったのです。

憎しみはどこかで断ち切らなければ新たな憎しみを生むだけでしょう。
私の憎しみは、私で終わりにするのが一番だと、そう思うのです。

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